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「富士山頂」新田次郎

富士山頂に気象レーダーを建設する。
昭和38年に始動した気象庁の一大事業を追った物語です。

不勉強で富士山頂に気象レーダーがあった事など全く知りませんでした。
一度は登った富士山だけに、あの山頂に!?
という思いとともに深く感動しました。



気象レーダーを作る予算案の交渉シーンから始まり、完成、運用に至るまでの様子を実にリアルに描いています。
工程によって三章からなる構成です。

第一章は事業をどこにまかせるか、企業間の熾烈な争い。
依頼する企業を決めるのも事業の一環であるという事は意外と盲点でした。
本当に最後までやり遂げる力のある企業かどうかの見極め。
実は事業を成功させる上で実は最も大切なことかもしれません。

気象庁は時にシビアな対応で、ここならばと公正に最良の企業を選びます。
このような気持ちで常に国が予算を使ってくれたらなと思いました。

第二章では2年にわたる実際の工事の様子。
作中で度々言われるのは現場が富士山頂であるが故の問題。
冬場の作業はほとんど無理であり、夏場でも晴天の日は限られる。

何にせよ、3776mの高さです。
材料を運ぶのも大変ですし、作業員だって登らないといけません。
やっと登って作業に当たっても、大変さに根を上げて下山してしまう工夫が後を絶ちません。
頑張ってやりきる工夫の心の支えは富士山で働いているという気持ちだけ。

最終工程であるレーダードームを被せるシーンはジーンとしました。
山頂に輝く十六面体のドームはさぞ美しい事でしょう。

第三章では運用に至るまでの諸問題。
完成してもなお終わりでないこの事業。
電波検査というものが必要なんですね。
検査するにも検査員も登っていかないといけません。

何をするにも人が登って作業をする。
昭和初期から山頂に観測所はあって、常に作業員が駐在していたことにも驚きました。
レジャーで登った自分とは違って通勤の為に登る。
とても大変と思うと同時に少し羨ましくもあります。
日本一の山の山頂で働いたという誇りは誰でもが得られるものではありません。

富士山頂の気象レーダー、今はどうしているか調べてみました。
富士山レーダードーム館として第二の人生を歩んでいるようです。
35年間、富士山頂で頑張って日本の気象情報を支えてくれていました。
気象衛星の活躍によりその役目を終えたのです。
ちょっぴり寂しくもあります。

この小説は映画化もされ、この工事の様子はNHKプロジェクトXでも紹介されていたようです。
こちらもチェックしようと思います。

  
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プロフィール

HN:
ichiko
性別:
女性
自己紹介:
40歳で挑戦した富士登山をきっかけに登山が趣味になりました。関東近郊の低山を中心に楽しんでいます。

初心者、女性、40代の目線で綴る山行き。渓谷歩きや丘陵など自然に触れるハイキング。山道具・山ファッション・下山後の温泉・山でいただく御朱印などなど。山から広がった様々な趣味や日々の雑感も。


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